ぶた猫ぶーにゃんの社会的マイノリティ研究所

私、ぶた猫ぶーにゃんの「社会的マイノリティ」について考えるブログです。主に社会的マイノリティ、そして彼ら彼女らを侮辱する「毒オトナ」について綴っています。

毒オトナの条件・第9回「『選ばなければ仕事はあるはず』と無責任発言」

こんにちは。¡Hola amigos!

もう12月に入ったねえ。
今月中にはこのシリーズ連載も終わる予定。

第9回「『選ばなければ仕事はあるはず』と無責任発言」

これも私自身、周りの毒オトナたちから浴びせかけられた文言だ。
2000年代就職氷河期において就職活動をしていた時などに浴びせかけられた。

「お前が仕事にありつけないのは職種等を選り好みしているからだ。そういう『選り好み』せずに、『何でもやります』の意気で就活をせんかい!」ということらしい。

しかし、よく考えたら「何でもやります」というのは就職先に対して実に失礼な言葉だと思う。
就職先の側は「○×ができる人」と、ある特定の技能などを持った人を求めているはず。
そこに「何でもできます、何でもやります!」と求職者側が言ったところで就職先としては「???」だろう。

「就職できない人を見下す」マウンティング

「選ばなければ仕事はあるはず」…
これもまた、「就職できない人を見下し、馬鹿にする」=「マウンティング」の一種だと考えていいだろう。
こういう「毒オトナのマウンティング発言」を真に受けてしまうと、求職者側にとって最悪の事態に陥ってしまう。

私自身のように…

「何でもやります」と言ったところで、適性が合致していないと仕事もままならない

私自身、「選ばなければ仕事はある」を真に受け、いろいろな仕事をしたが、いずれも1年経たずに辞めてしまった。

辞めてしまった原因は、ひとえに「適性がなかった」から。

うちの地元近辺では、「小売業」「飲食業」など、いわゆる「接客業」の求人が多かったが、残念ながら私にはこれら「接客業」に対する「適性」がなかった。

「適性のなさ」に気付くまでに10年以上かかった。

そのときに気付いたんだなあ、「選ばなければ仕事はあるはず」という言葉は、

  • 「仕事に適応できない人」に対する呪詛であり、
  • 「就職できない人」に対するマウンティングの言葉だと。

その後ようやく、私の適性について考えた末に就職した現在の職場にありつけ、現在4年が経過した。

適性と職種を照らし合わせ、仕事を「選り好み」しよう!

やはり、職探しをする際は、自分の適性をよく考え、それを職種と照らし合わせて「選り好み」することはとても重要だと思う。

それだけでなく、「自分の適性に合った職種」の職場見学も重要だと思う。

私の場合、見学だけでなく職場の「インターン」もさせてもらった。
そこで「あ、これは自分にも定着できる仕事だ」と思ったがゆえに正式就職した。

それにしても、毒オトナたちは本当に無責任だよなあ…

それではまた次回。