おはようございます。
本当に今年になってブログの更新自体がおっくうになった。
春から夏にかけては長期休止もしたし…
今回は毒オトナの条件第10回。
「やればできる」は地獄の合言葉
「『やればできる』は 魔法の合言葉」
愛媛県の「プロ部活」が盛んなある私立高校の校歌の一節である。*1
しかし、この「やればできる」という言葉、なんでもかんでも使っていると当人を傷つける危険性を孕んでいる。
才能ある人間が高みを目指すためにしか使ってはならない
そもそも「やればできる」という言葉は、
「もともと才能を持った人間が、その才能をフルに発揮させ、高みを目指す」
「70%の達成率にいる人間に、あと一押しをさせる」
ためにこそ使われるべき言葉なのではないかと思う。
世の中には、「何をやらせても平凡以下」「何をやらせてもうまくいかない」人間が無数に存在する。
そういう人たちに、「あんたはやればできるんだから」と周りの毒オトナたちから言われても、「本当にやればできるの?全然できないんだけど。それよりも『比較的苦痛なくできること』を見出すべきなのでは?」と私は思うのだが…
私も、「やればできる」と尻を叩かれ苦難を強いられた
先月、NHKのEテレで、とても良質なドキュメンタリー番組が放送されていた。
www4.nhk.or.jpこの番組はとてもよかった。
自閉症(発達障害)持ちのオレグ青年が、「毒オトナ」の母親からひたすら
「頑張ればできる」
「あんたは怠けているだけ」
などとひたすら尻を叩かれていた。*2
前々回、「NHKの発達障害キャンペーンに『伝説のクリーチャー』を並べても嫌味なだけ。発達障害当事者のほとんどは『伝説のクリーチャー』のような立場にはないから」と綴ったが、まさにこのオレグ青年が親や周りから「無知・無理解に基づく仕打ち」で虐げられているような状況が、発達障害当事者の多数の実態だと思う。
sgtyamabuunyan2nd.hatenadiary.jp
私自身もまた、このオレグ青年と同じ状況にあった。
親はもちろん、周りの毒オトナたちから「松岡修造責め」を浴びせかけられていた。
その状況で、私は「適性のない仕事」に就いては短期でやめることを繰り返し、しまいには「HIKIKOMORI」になってしまった。
「やればできる」などといって、「無理なことを」「無理やり」させていませんか?毒オトナの皆さん
このように、「やればできる」という言葉は当人、特に発達障害など「社会(主流秩序)に適応できない特性を持った人」を大いに苦しめる言葉になってしまっている。
繰り返しになるが、世の中には「どんなに『やればできる』と発破をかけても」「それをうけてどんなに当人が『努力』をしていても」全然無理な(できても平凡以下の結果に終わる)ことが多数存在する。
そういうことを信じたくない「毒オトナ」たちが、「やればできる」「努力すればできるようになる」などとウソを並べて当人を苦しめている。
本当に、毒オトナたちは残酷な存在だ…
次回に続きます。