ぶた猫ぶーにゃんの社会的マイノリティ研究所

私、ぶた猫ぶーにゃんの「社会的マイノリティ」について考えるブログです。主に社会的マイノリティ、そして彼ら彼女らを侮辱する「毒オトナ」について綴っています。

毒オトナの条件・第6回「『私は努力して主流秩序に順応した』アピール」

こんばんは。朝夕寒いね…うちもこたつを用意したよ。

第6回「『私は努力して主流秩序に順応した』アピール」

前々回「アドバイスや支援という行為には、少なからず相手を『上から目線』で見下す=マウンティングが孕んでいる」ということを綴った。

今回はそういう「マウンティング」行為の中でも最も嫌らしいものを紹介したい。

「私は努力して主流秩序に順応したんだ!」

皆さんの人生の中で、周りの人や、あるいはテレビや雑誌のマスメディアなどで、こんな言動をしている人はいなかったか。

  • 「私は努力して事業を軌道に乗せ、現在の地位を築いたんだ」
  • 「私は努力してコミュニケーション能力を身につけてきたんだ」

要は、私の師匠「伊田広行」氏がいつも言っている「主流秩序」への順応・従属をアピールしているわけだ。

そしてたいていはこう続くのである。

  • 「だからお前らは駄目なんだ」
  • 「努力できない奴なんて救う必要ないんだ、野垂れ死ね」
  • 「努力しないやつらには『矯正収容』が必要だ」

「はじめから恵まれた環境」にいる人よりも、「困難から乗り越えた」ような人がこんなことを言う

上記のような「私は努力して主流秩序に順応したんだ、主流秩序に順応できないやつらには『社会的制裁』が必要だ」などという言動は、

  • 富豪の家庭で生まれ育つなど、「はじめから恵まれた環境」で生育した人たちには少なく、
  • 母子家庭や貧困状態で生まれ育つ、社会に適応できないなど「困難まみれの環境」を乗り越えて現在の地位を築いた、という人たちに多い。

なぜこんな言動をするのか。

ひとえに「自分のかつて所属していた属性」を見下したいからにほかならない。
要は「マウンティング」である。

  • 「母子家庭で育ちながら努力して困難な環境を乗り越えて一流企業に就職あるいは一流士業になれた人たち」が「母子家庭への公的支援の拡充を求める人たち」のことを見下す。
  • 「非正規雇用でありながら努力して家計をやりくりし、一人暮らしで生計してきた人たち」が「派遣切りに遭って『年越し派遣村』のお世話になっている人」を見下す。
  • 「かつて『HIKIKOMORI』=社会不適応状態だったが、努力して『コミュ力』を手に入れ社会=主流秩序に順応できた人たち」が「HIKIKOMORI」を見下す。

こんな構図がいっぱいあるよなあ。

そもそもどれくらいやったら「努力した」と認定されるの?

「努力して主流秩序に順応した」人たちが努力していない(と思われる)人を見下す構図。

では、どれくらい「努力したら」いいんだろう。
多分見下している当人もわからないと思う。

そもそも努力なんて基本的に「運」と「縁」がからまないと報われることのないものだと思う。

sgtyamabuunyan2nd.hatenadiary.jp

 前々回に引き続き…

私自身もこの手のアピールをしてしまったことを告白せねばならない。

それは二条淳也師匠に「障害基礎年金の受給」を勧めてしまったこと。

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これもまた、「自分が障害基礎年金を受給できたからお前もやったらどうだい」という「人を見下した行為」になってしまったと今では思う。
本当に申し訳ない。

誰しもが、「毒オトナ」になりかねないことを肝に銘じたいものである。

それではまた。