ぶた猫ぶーにゃんの社会的マイノリティ研究所

私、ぶた猫ぶーにゃんの「社会的マイノリティ」について考えるブログです。主に社会的マイノリティ、そして彼ら彼女らを侮辱する「毒オトナ」について綴っています。

毒オトナの条件(48)「人に、社会に頼るな」からの「お前一人で生きているんじゃないぞ」

おはようございます。¡Buenos dias!

うつ症状は小康状態なものの、まだ夜中に中途覚醒するなど回復には至っていないようだ…

さて、今回は毒オトナの条件・第48回。

私が父親からよく叱責される際に言われるセリフを紹介する。

「人に、社会に頼るな」からの「お前一人で生きているんじゃないぞ」

父親はよく口にしていた。

「人に、社会に頼るな。頼れるのはオノレ自身しかいないんやぞ」

その一方で、「頼れるのは自分自身だ」と言い聞かせて自分の判断で、父親から見て「出過ぎた」行動をするとだな…

「お前、勝手な行動をすんなや。お前一人で生きているんやないんやぞ!」

などと言う言葉を投げつけられた。

なぜ同じ口で矛盾することが言えるのか。それは「下」を縛り付けるための方便だから

私は不思議でならなかった。

なぜ、「人に頼るな、オノレ自身しかいない」とか言っておきながら、「お前一人で生きているんやない」「もっと周りに感謝しろ」などと同じ口で言えるのか。

「毒オトナ」についていろいろ考察するようになった今なら言える。

これらは「下(子どもや女性、社会的マイノリティなど)」を縛り付けるための「方便」なんだ。

DV(ドメスティックバイオレンス)パートナーなんかわかりやすいわな。

  • 「お前なんか嫌いだ、うざいんじゃ」とパートナーに当たり散らす一方で…
  • 「自分にはお前がいないと駄目なんだ」と必要性を説く…

実際、このような事象は「ダブルバインド」と「命名」もされている。

rollingstonejapan.com

 

「お前一人で生きているんじゃない」…集団主義、はては全体主義の肯定

それにしても、「お前一人で生きているんじゃない」というのは、本当に恐ろしい言葉だと思う。

集団主義、はては全体主義を肯定している言葉なのだから。

そういえば「二条淳也」さんのブログにしつこく絡んでいた人が良くコメントしていたよなあ…

「人は古来から狩猟などで集団を組んで生きてきた。あなたも周りの人々がいるから生きてこれたんだ」とか…

私もこの方とは「二条淳也さんに『BAN』された者同士」として一時期親しくしていたが、今思えば「この方の理想は全体主義なんだな…」と思える。

毒オトナたちは、全体主義と親和的である。
これは覚えておいた方がいい。自省も込めて。

次回に続く。