ぶた猫ぶーにゃんの社会的マイノリティ研究所

私、ぶた猫ぶーにゃんの「社会的マイノリティ」について考えるブログです。主に社会的マイノリティ、そして彼ら彼女らを侮辱する「毒オトナ」について綴っています。

毒オトナ社会の解きかた(20)やっぱり、「性行為ビデオ」で満たされるのは性欲ではなく「ミソジニー欲」

おはようございます。¡Buenos dias!

今回も「毒オトナ社会の解きかた」。

なお、今回は性的表現が多めなので折りたたむ。

 

やっぱり、「性行為ビデオ」で満たされるのは性欲ではなく「ミソジニー欲」

この間、「太田啓子」氏の著書「これからの男の子たちへ」を読んだ。

その中で、「性行為ビデオ*1」についてどう考えるかというものがあった。

その手のビデオのある男優のインタビュー記事を紹介する形で「ビデオを視聴して満たされるものは何か」ということが綴られていた。

そのインタビュー記事がこちら。

www.huffingtonpost.jp

本書での引用部分を引用。

「男性向け(AV)は、女性をイカせたい、というファンタジーが強いですね。特にリアルなセックスでもやりたがる人が多い『潮吹き』は、それが視覚的に分かるし、男性の射精にも似ているので、共感しやすいんです。『俺はこの人をいかせることができた。モノにした』という支配欲が満たされるファンタジー『潮吹き』は良くも悪くもAV業界の画期的な発明なのですが、現場ではほとんどの女優さんが苦痛に感じていて、見ていて気の毒になるほどです」(114ページ。大文字&太文字強調は引用者)

この部分を読んで、私は大きくうなずいた。ヘッドバンギングのごとく。

「支配欲」というのは言い換えると「ミソジニーとしての欲望、ミソジニー欲」ということだろう。

引用元では「潮吹き」を例に挙げていたが、精液を女性の顔や体にひっかけるその名も「BUKKAKE*2」も「ミソジニー欲」を充足させるための表現だと思う。

参考過去記事

sgtyamabuunyan2nd.hatenadiary.jp

どうしても「あの人」のことについて考えざるを得ない

この問題で私はどうしても、「諸星ノア」氏のことについて考えざるを得ない。

彼は著書やブログなどで「大人の女性は怖い。女性と接するのは小中学生、そして性的に『汚れきった』性行為ビデオの女優だけだ」ということを綴っていた。

参考過去記事

sgtyamabuunyan2nd.hatenadiary.jp

sgtyamabuunyan2nd.hatenadiary.jp

そして、今回引用した男優氏の考えには「与しない」のだろうなあと想像する。

なぜなら、男優氏は「女性にも楽しんでもらえる」タイプの作品に出演されている方であり、「女性にも楽しんでもらえる」というのはすなわちリア充向け」だから。

私はどうしても「性行為ビデオ」では「抜けない」

私自身、この手の性行為ビデオのコンテンツに接することはある。

しかし、どうしても「抜こう」とは思えない。

なぜなら、男の側の一方的な「性欲充足」に女性が付き合わされているような気がしてならない、言ってしまえば「痛々しい」から。

そして私は思うのである。

「こんなので性欲を発散できるわけがない。むしろ『ミソジニー欲』をため込むだけではないのか?」

行きつく先は「エリオット・ロジャー*3」じゃないのかと思うのである。

そう思うのも、私自身「彼女」がいるからなんだろうなあ…

ダウン症持ちだけど、素敵なムチムチボディの彼女が。

それではまた次回。

*1:いわゆるアダルトビデオ(AV)。

*2:なんと国際共通語として通用する。HIKIKOMORI同様に。

*3:自分には「女」がいないから、という理由で無差別殺人事件を起こした。詳しくは各自で検索してほしい。本書にも彼のことが載っている。