ぶた猫ぶーにゃんの社会的マイノリティ研究所

私、ぶた猫ぶーにゃんの「社会的マイノリティ」について考えるブログです。主に社会的マイノリティ、そして彼ら彼女らを侮辱する「毒オトナ」について綴っています。

障がい者は社会に貢献できない…やはり「脱・主流秩序」が必要だ。

おはようございます。

今回も前回に引き続き、「バリバラ」の例の事件検証の回から。

www6.nhk.or.jp

前回記事で綴った「発達障害の当事者」のほかに、番組ではもう一人「事件の容疑者に共感できる」人にインタビューしている。

障がい者・社会的弱者はコストがかかる

出演したのは「田中さん(仮名)」。

顏まで出して発言してくださった。
以下、発言の要旨。

「必要なお金ばかりかかって、障がい者がお金を稼げるのか」
「お金が稼げないから社会に貢献できず、周りに負担ばかりかけている」
(何をさして「社会貢献」というのか、という問いに対し)「お金を稼げる、生産性。そういったところ。働いて税金を納めること」

やはりというか、「稼げるか」ということばかりに論点が行っている。

あと、こんな発言も。
「命が大事だ、とばかり言っていたらきりがない。寝たきりのおばあさんの介護に毎月何百万、何千万かかる、社会全体がそれを許す余裕があるのか」

もし自分が「殺害対象」当事者だったら?

インタビュアーは田中さんにこう問うた。

「では、あなたが70歳くらいになって、体が動かなくなったら、自分が殺されてもいい、そういう覚悟があるのか」

田中さんは「その覚悟はある」と答えながらも、表情には困惑が見えた。

「社会貢献」ができなくなることだけが「殺害対象にされる」のではない。
たとえばいわゆる「ネト●●」連中は政権与党がやろうとしていることを批判することや、アジア周辺各国の人と仲良しだといっただけで「反日」のレッテルを張り、「殺害せよ」と平然と言う。

田中さんは「健康な健常者だから『ひとごと』であり、矛先が向かっていないことに安心する」とも言っていた。
「ネト●●」連中も「叩く対象」を作って「安心」しているんだろう。
私の友人もよくアジア周辺各国の人たちを「キチガイ」などと罵るわ。

やはり問題解決の鍵は「脱・主流秩序」

番組の終盤に、ゲスト出演していた映画監督・森達也氏は「いいんですよ社会貢献できなくても。できる人がやればいい」と仰っていた。

この言葉を聞いて、私は思った。
「ああ、結局、イダヒロユキ(伊田広行)氏の言う『脱・主流秩序』なんだなあ」

みんな、「社会=主流秩序」に囚われている。
囚われすぎてしまっている。

「主流秩序」という乗り物から、いっぺん降りてみようや。
私も乗り物から降りることで、「福祉を利用しよう」と積極的に考え、生きやすくなった。

それでは。
次回から「私と発達障害番外編・潜入!大人の幼稚園」をお送りします。