こんばんは。
先週あたりからまた夏が戻ってきたかのような暑さだねえ。
前々回から綴っている精神保健福祉士の「大佐」だが、現在は全く行方知れず。
元気にしているかなあ。本当に素敵な方なんだよねえ。
出来ればまたお会いしたい。
私と発達障害⑳大佐のこと、続き
地元の市から指定管理者の委託を受け、市所有の施設を借りて社会福祉法人が運営している地域活動支援センター。
私はセンターの専属精神保健福祉士である「大佐」に、全幅の信頼を寄せていた。
大佐への信頼①大佐は「頭ごなし」に接しなかった
私の親や、周りのオトナたちと全く違うところである。
大佐は決して「それはあなたに責任がある」と頭ごなしに決めつけなかった。
必ず、こちらの言い分を「確かにあなたの気持ちや考えは理解できます」と受け入れたうえで、「でも、あなたもこのように変わっていくべきではないかしら」と私に「提案」してくださった。
このように持ちかけられると、受ける側も「すぅーっ」とアドバイスを受け入れられるのだ。
HIKIKOMORIはじめ、人間不信に陥っている人は精神保健福祉士ほかの「アドバイザー」の提案を拒絶するという。
あの「高齢HIKIKOMORIブロガー」もそうだったなあ。
それは、ひとえに「アドバイザーの力量不足」である。
その「力量」とは、「寄り添う姿勢」である。
寄り添う姿勢を身に着けているアドバイザー、それが大佐だった。
大佐への信頼②自分の趣味嗜好を否定しなかった
私は姉妹ブログで綴っているように、ゲーム(コンピューターゲーム)が好きである。
親や周りのオトナたち、そして「力量不足のアドバイザー」は、往々にして相手の「趣味嗜好」を否定したがる。
「そんな金と時間の無駄でしかないことをするんだったらもっと有益なことをしろ」と説教するのだ。
一方、大佐はこういう趣味嗜好の面でも、けっして否定することはしなかった。
むしろ彼女も「ニンテンドーDS」を嗜んでいたがゆえに、逆にゲーム関連の話題も交わすようになった。
大佐への信頼③とにかく「気づかせる」ことがうまかった
大佐は頭ごなしに否定したり、「お前は●●だから××なのだ」と説教するのではなく、「あなたが●●がすきなのは理解できるけど、結構お金かかるよね。お金って大事だから使うのはよく考えないといけないよね」などと「こちらに何か気づかせる」ような話術を用いた。
そして、私が「今日ハ朝早ク起キテ部屋ヲ掃除シテミタンダ」と大佐に報告すると、「あ、それはすごいじゃない!」などと大げさなくらいに称えてくれる。
これは少しのこと、大したことないことであっても、褒めることで私に自信と自尊心をつけさせてくれるためのテクニックだと思う。
周りのオトナたちにさんざん自尊心を傷つけられた私にとっては本当にいい薬だった。
しかし…
父親は私が大佐のカウンセリングなどで自信をつけていることに対し、「それはおまえが大佐に甘えているからだ」と言い放った。
自分の言うことにはいちいち反発し、一方でどこの馬の骨とも知らない人間の言うことは従うのか。父親は自身のプライドを傷つけられたがゆえにこんな言葉を放ったのだろう。
残念ながら、この手の問題は「病気にかかったときの医者」と同じで、専門家の方が親よりも優れていると思う。
少なくとも私はそう思う。
ただ、大佐もまたたくさんの「クライアント」を抱える身であり、いつまでも頼るわけにはいかないのは確かであったが。
次回に続きます。