ぶた猫ぶーにゃんの社会的マイノリティ研究所

私、ぶた猫ぶーにゃんの「社会的マイノリティ」について考えるブログです。主に社会的マイノリティ、そして彼ら彼女らを侮辱する「毒オトナ」について綴っています。

新シリーズ連載「毒オトナ社会の解きかた」(1)自分と全く関係のないことには関心があるが、自分に大いに関係あるだろうことには関心がないのはなぜなのか

こんばんは。¡Buenas noches!

前回記事で綴ったショックから立ち直ったと思ったら風邪とうつ症状が重なってしまった…

今回は今まで綴っていたシリーズ連載「毒オトナの条件」をリニューアルして

「毒オトナ社会の解きかた」

というカテゴリーを作成する。

今回はその第1回。

 

全く関係のないことには関心があるが、自分に大いに関係あるだろうことに関心がないのはなぜなのか?

今回のテーマはこれ。

たとえば、「自分とはまったく縁もゆかりもない誰かが世界ランク1位になったり、栄誉ある賞を受賞したこと」などに対しては、

  • まるでわがことのようにうれしい
  • 郷土の誇りだ

などと関心を示すのだが、これが社会問題、たとえば「環境危機」だとか「ジェンダー差別」などのすなわち「自分にもふりかかる、大いに関係あるだろう問題」になってくると、とたんに、

  • それが私たちと何の関係があるの?
  • それで飯が食えるの?

などと無関心を示すのだ。

この「逆説性」とも「誤謬」ともいえる論理は、ニッポンの国政・地方政治の選挙の投票率にも表れている。

社会の課題を突き付けられると拒否反応を示す

先日の衆議院議員総選挙において、「共産党」はじめ左派系野党は

への徹底対策を公約に打ち出していた。

しかし、駄目であった。

冷静になれた今の私ならわかる。

このニッポン国においては、社会問題、この国が抱えている課題を広く大衆に訴えかけると「ドン引き」されてしまうのである。

  • 「うちら、別に問題だと思ってないけど」
  • 「経済格差なんてしゃあないやん、努力していないやつが貧困に陥るのは社会の定説」
  • 「環境?それ何美味しいの?」

そして、(主にテレビを通じて)「自分とはまったく縁もゆかりもない人たちが何かしている」ことを観覧し、悦に浸るのである。

次回に続く。