こんにちは。Hola amigos!!
前回、就職活動について綴った。
これを機に、しばらくシリーズ連載「就職氷河期戦線異状あり」を綴っていきたいと思う。
よろしくお付き合いのほどを…。
就職氷河期戦線異状あり①就職氷河期の就活
私が就職活動をするようになったのは西暦2000年。
就活を伝えるニュースでは、
「究極の買い手市場」
「神スペック即戦力級を厳選採用」
「就活生は会社を選り好みしていられないぞ」
などと伝えられるのがしょっちゅうだった。
また、当時日産自動車社長に就任した「カルロス・ゴーン」氏による経営再編(不採算部門の再編・切り捨て)が脚光を浴び、「とりあえず不採算部門・人員を切り捨てて、新規採用も極力減らせば株価は上がる」という風潮が作られていた。*1
前年、前々年卒業組の中には、正社員に就職することは出来ず、パートやアルバイト、派遣会社に登録するなど「非正規雇用」に就く人も珍しくなかった。
就職説明会はがらがら
そんな風潮の中での就職説明会だが、出展企業はまばら。
会場はとにかくがらがらだった。
その数少ない出展企業も、主な企業は「消費者金融*2」「先物取引」であり、そこそこ名の知れた企業はほとんど出展していなかった。
「圧迫説明会」「なんで高学歴サマがうちの会社の面接に来るの?」
私も含め、とにかく内定をゲットしたい就活生たちはいろいろ出展企業にアタックするものの、「お前たちはいかに役に立たない存在か」という内容の説教がほとんどだった。
いわゆる「圧迫面接」ならぬ「圧迫説明会」。
私の場合は中小企業にもアタックをかけたのだが、その際に面接担当から言われたのは、
「なんで高学歴サマがうちの面接に来るの?」
というような文言だった。
最初から新規採用する気などないのが見え見えだった。
もし、「選考条件の対象者=低~中学歴者」が面接に来たら、先述の「圧迫」をやってくるだろうことは想像に難くなかった。
結局内定なしのまま卒業へ
「とにかく数を当たるしかない」。
私はこの言葉を胸に、「やる気」「熱意」をアピールしたが、そんなもので採用されるなら苦労はしない。
私自身も甘かったかもしれない。もう少し「職業」「働くこと」について深く学ぶべきだったと思う。
しかし、それを差し引いてもあの時の就活状況は異常としか言いようがなかった。
結局、どの会社の内定を得ることなく、西暦2001年、私は大学を卒業した。
次回に続きます。
(追伸)
先日注文しました「ひきこもり新聞」、本日届きました。