ぶた猫ぶーにゃんの社会的マイノリティ研究所

私、ぶた猫ぶーにゃんの「社会的マイノリティ」について考えるブログです。主に社会的マイノリティ、そして彼ら彼女らを侮辱する「毒オトナ」について綴っています。

毒オトナ社会の解きかた(11)「自己責任(論)」って、単に「自業自得」と言いたいだけだよね

こんばんは。¡Buenas noches!

今回は再び毒オトナ社会の解きかたを綴る。

今回は「自己責任(論)」という言葉について。

「自己責任(論)」って、単に「自業自得」と言いたいだけだよね

「自己責任(論)」、以下「自己責任」…

これほど毒オトナ社会を象徴する、そして私が一番嫌いな言葉はない。

本来、自己責任という言葉は自らを律するための言葉、自己管理をきちんとしていこうと努めるための言葉だった。*1

それがいつしか、「お前の責任だ」という感じで人を誹謗するための言葉になってしまった。

ぶっちゃけ言ってしまえば、

「自業自得」を「自己責任」と言い換えているだけ

である。

「内面化」を迫るための便利な言葉「自己責任」

「自己責任」という名のもとに「自業自得」と誹謗する。

それは連載の10回目で綴った「内面化」を誹謗対象に迫るのに実に便利なものとして作用している。

sgtyamabuunyan2nd.hatenadiary.jp

「ひどい目に、つらい目に遭っているのはお前の責任だ」

と迫れば、

「ああ、ひどい目、つらい目に遭っているのは私の責任なんだ」

と無理にでも納得させようとしてしまう。

  • 「仕事を失ってしまったのはお前の責任だ」
  • オレオレ詐欺に引っかかったのはお前の責任だ」
  • 「性暴力を受けたのはお前の責任だ」
  • 「病気にかかってしまったのはお前の責任だ*2

などなど、「自己責任=自業自得」と誹謗するシチュエーションは枚挙にいとまがない。

「自己責任」と誹謗する社会の先にあるのは究極の「無責任社会」

しかし、本当に「自業自得」の意味で用いられている「自己責任」って便利な言葉だと思う。

「俺たちは何の責任もない。何も考える必要もない」

という宣言だもの。

それって要するに、
「無責任社会」
ということではないか。

ところで、新型コロナウイルスの蔓延が止まらない。
特に私も在住している大阪府がひどい。
「維新を名乗るナニワのトランピズム政党」が支配しているこの大阪府は、まさにウイルスとともに「自己責任=自業自得」が蔓延している、「自己責任社会=無責任社会」の実験場となっている。

雨合羽はどこへ行った。

イソジンで解決するはずではなかったのか。

「大阪ワクチン」はどうなっているんだ。

大阪府の為政者たちのこのような「責任」はほとんど問われることもなく、府内のマスコミ屋たち(ジャーナリズムではない)は相変わらず能天気なことばかりを報じる。

「下」ばかりが責任を問われる

以前に「マウンティング」や「トーンポリシング」など、「毒オトナしぐさ」は「下」にしか向かわないということを綴った。

 

sgtyamabuunyan2nd.hatenadiary.jp

そしてこの「トーンポリシング」のいやらしいところは、「マウンティングの一種」と綴ったように、 常に「下」の立場に対してだけ向けられ、「上=主流秩序」の立場に対して向けられることは決してない ということ。

毒オトナの条件・第7回「トーンポリシング」 - ぶた猫ぶーにゃんの社会的マイノリティ研究所

それは「自己責任=自業自得」にもあてはまる。

「下」の立場に置かれた人たちばかりが「責任」を問われる。

まさに地獄でしかない、「ディストピア」だ。

次回に続く。

*1:おそらく、「7つの習慣」などの自己啓発書の影響が大きかったのだろうと思う。そしてこれら自己啓発書が、本記事で論じる「自己責任=自業自得」にもある程度つながっている。

*2:この類の「自己責任」を表現する言葉として「生活習慣病」がある。