ぶた猫ぶーにゃんの社会的マイノリティ研究所

私、ぶた猫ぶーにゃんの「社会的マイノリティ」について考えるブログです。主に社会的マイノリティ、そして彼ら彼女らを侮辱する「毒オトナ」について綴っています。

毒オトナ社会の解きかた(35)学習性無力感

こんばんは。

全然更新していない…

何を綴っても注目されなくなったからかもしれない。

 

 

学習性無力感を覚えるようになった

「マガジン9」において、雨宮処凛氏がこう綴っている。

maga9.jp

 そんな中、私はなんだか放心している。

 この16年間、私は政治に対して声を上げ続けてきた。貧困問題はもちろん、特定秘密保護法や安保法制、はたまた原発問題に対してなど、数えきれないほどデモに参加し、時に主催し、また院内集会をし、原稿を書き、講演をし、声を上げ続けてきた。

(中略)

 だけど、そんなことはまったく関係なかったのだ。これまでの行動は、まったくもって全然一切、なんの意味もなかったのだ。

 旧統一教会自民党とのつながりが明らかになればなるほど、そんなシンプルな事実を突きつけられる。

 だって、相手はカルトとズブズブなのだ。蓋を開けてみたら、そこには果てしない空洞が広がっていたような、なんだか狸とか狐とかに化かされたような、怒りを通り越して「ポカンとする」感覚。同時にこの4ヶ月、「いったい私、この十数年間何やってたんだろ」という思いがじわじわと大きくなっていて、徒労感のようなそれはボディーブローのように私をゆっくりと消耗させている。現在進行形で。

 

私自身もそう思う。

政権与党がどんなにポカをかましても、国政選挙では政権与党(あるいは政権与党に近しい会派)ばかりが当選する。

政治・社会問題をエンタメ、他人事としてしか見ない人たちばかり。

そして「政治・社会問題のエンタメ化」に加担しているマスコミ屋たち。

上記引用のカルト問題だって、当初は及び腰でNHKなんかカルト団体に寄稿経験のある「精神科医」が出演したりしたものなあ。

まさに「学習性無力感」。

私が本ブログの更新意欲がわかなくなった一因かもしれない。

「ブン屋」って、「醜聞屋」の略なのではないか

思うのは、ニッポン社会で一番堕落しているのはマスコミ屋なのだろうなあと思う。

よく、「ジャーナリスト」の類が自分を卑下する言葉として、

「ブン屋」

というものがある。

「ブン屋」の意味や使い方 わかりやすく解説 Weblio辞書

これって何の略なんだろうなあと思ったが、これはおそらく、

醜聞屋しゅうぶんや

なんだろうなあと思うようになった。

芸能人・著名人のどうでもいいプライベートをさも一大関心事のようにまくし立てたり、社会の「下」に対するデマを拡散したりして社会問題の非・可視化に加担しているとしか思えないから。

実際、私の師匠のお一人もインスタでこう描いている。

 
 
 
 
 
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デマを拡散した連中は今もテレビに出続け、動画配信者ユーチューバーとしても大活躍。

一方で社会問題を可視化しようとすると邪魔が入る。

このテレビ醜聞屋の構図はインターネット時代になっても変わらない。

「ナニワのドナルド・トランプ」氏がそこで大活躍している。

そのインターネットテレビ醜聞屋が今年の「FIFAワールドカップ」の全試合配信権を得たんだそうな。

あと「こたつ記事」も問題だな。
「○○がツイッター投稿した」ということをわざわざ一記事にして「放送・配信」すること。

ニッポンの毒オトナ社会は「カルト政権与党」と「醜聞屋」に支えられている。

ほんじゃまた。