こんばんは。¡Buenas noches!
今回も「与党も野党も茶番」。
今年も大会が分裂開催されたニッポンの核兵器廃絶運動について綴ろう。
核兵器廃絶運動に分裂を招いた茶番政党
さて、繰り返しになるがニッポンの核兵器廃絶運動は「あること」をきっかけに大きく分裂、現在に至っている。
今年も、二つに分裂した「核兵器廃絶」の世界大会が開かれた。
茶番政党が分裂に一役買ってしまった
その分裂のきっかけの一つに、本シリーズ連載でさんざん問題にしている「あの茶番政党」の存在がある。
そのことをつぶさに綴った過去記事をアーカイブしている地方新聞があるので紹介する。
早速引用。
広島市の平和記念公園を埋めた「黒ずんだ波」の前には全学連の学生約60人が占拠していた。「核実験に反対もできない大会は即刻解散せよ」「学生帰れ」。やじと怒号が渦巻く。やがて学生は警官にゴボウ抜きにされる。縄張りの外で市民は黙り込み、その光景をじっと見つめていた。
1963年8月5日の第9回原水爆禁止世界大会。社会党・総評系がボイコットした分裂大会はこうして幕を開けた。政党同士のむき出しの主導権争いを背景に、ヒロシマの願いから遊離し、反核世論を長く停滞させた原水禁運動分裂の夜だった。
「政党同士のむき出しの主導権争い」、ここである。
いつしか核兵器廃絶運動は「いがみ合い」「代理戦争」と化してしまった。
再び引用。
政治色が濃くなるにつれ、日本原水協に強い影響力を与えていた共産党系と社会党系の路線の違いが組織内にくすぶり始める。対立は61年9月のソ連核実験再開をめぐり決定的になった。「いかなる国の核実験にも反対」を運動の原則にする社会党に対し、共産党は反米反帝国主義を土台に「防衛的立場の社会主義国の核実験を、帝国主義国の実験と同列に論じるのは誤り」と反論。62年の第8回大会はこの「いかなる問題」で混乱し、日本原水協は機能停止状態に陥った。
(大文字・太文字強調は引用者)
要は反米(いわゆる「アメリカ言いなり」に反対する)・親「東側陣営」の立場から、
「東側陣営の核兵器はキレイな核兵器」
なのだと言いたいわけである。
これは以前綴った、「茶番政党は日本国憲法の平和条項(憲法第9条)に反対、自衛戦争は容認されるべきという立場をとった」のと地続きなのだと思う。
核兵器についても「自衛用のそれは容認されるべき」という話。
参考過去記事
sgtyamabuunyan2nd.hatenadiary.jp
茶番政党はいまこそ「自己批判」を
まあ、これも「東西冷戦」に翻弄された結果なのだろう。
ただ、冷戦終結後も分裂したままなのはやはり茶番政党のプライド、「俺たちが日本の民主主義、平和主義を育てたのだ」という虚栄心なのだろう。
やはり茶番政党は自己批判の上、解散消滅した方が日本の民主主義のためになる。
次回に続く。