こんばんは。¡Buenas noches!
しかしほんまに暑い…電気代も爆上がり。エアコンつけないとほんまに死んでしまうよ…
今回も「与党も野党も茶番」。茶番政党のことについて綴る。
毒オトナ社会の「プチ・プーチン」と化した茶番政党
「プチ・プーチン」という人がいる。
「レスリングシリーズ」という屈強なオトコたちがくんずほぐれつするシリーズの登場人物の一人で「ユーラシア大陸にまたがる大国で、隣国に侵略戦争を仕掛ける極悪非道国家」の大統領氏にやけにそっくりな人のこと。
昨今の茶番政党の幹部議員・党員および支持者、信奉者が各種SNSでとっている態度を見ていて、この「プチ・プーチン」という言葉が思い浮かんだ。
sgtyamabuunyan2nd.hatenadiary.jp
その源流に、茶番政党の一番の「理論的支柱」が…
ところでこの間、こちらの本を読んだ。
本書序盤の侵略戦争についての往復書簡の中で、茶番政党に煎じて飲ませたいというべき一文があったので紹介する。
独裁を産まないためのシステムで重要なのは「政権交代」として、
ロシアでも、大統領任期の期限があったにもかかわらず、プーチンは自分の部下に一期だけは譲ってまた返り咲きを果たしました。そういう同一人物の再選を止める法案を「替わりばんこ提案」の中に織り込まないと、独裁化は止められないんですね。そういう同一人物による長期政権とその独裁化という過程がなければ、今回の「ウクライナ戦争」は起こらなかったはずだと私は強く感じています。
こうした同一人物の独裁化が、古い時代の皇帝ならいざ知らず、近代の時代になってどうして起こるのか、とても気になっています。その原因は、やはりマルクスが「プロレタリア独裁」にお墨付きを与えたということを思い出さないわけにはいきません。これも私が理解し得る「独裁=絶対主義」に関わる範囲内においてですが、マルクスはこう書いていました。
資本主義社会と共産主義社会のあいだには、一方から他方への革命的な変化の期間がある。これに対応して、政治的な移行期間もまた存在しているのであって、この期間の国家はプロレタリアートの革命的独裁でしかあり得ない。(細見和之訳『ゴータ綱領批判』筑摩書房、二〇〇五年、九九頁)
多くの人はマルクスの「資本主義」批判を評価しますが、この「プロリタリア絶対主義」の一文が世界にもたらした深い不幸を取り上げてくれる人は目立たないように感じています。「プロレタリア独裁」という耳当たりのいい用語でもって、個人の政治家を、恐ろしい「独裁者=絶対君主主義者」に仕立てていったという過程です。その初代の「独裁者=絶対君主主義者」はスターリンですが、その継承者が、今の「ロシア」、「中国」、「北朝鮮」に生まれています。
(P18-19、大文字・太文字強調は引用者)
本当に、この部分にはうなずきまくった。
マルクス、「カール・マルクス」といえば、茶番政党の「理論的支柱」、はっきり言ってしまえば「崇拝の対象」としてずっとあがめられている。
最近では「自由な時間と未来社会論」などと称して「もっと深くマルクスを学ぼう」などとキャンペーンを張っているようだ。
しかし、マルクスの「黒歴史」というべき部分にはほっかむりを決め込むんだよね。
そして、「プロレタリア独裁」に基づく組織論を「民主集中制」と称して党内に植え付け、疑問を持っちゃいけないと「学習」するんだよねえ。
マルクスの「黒歴史」「負の歴史」についてもしっかり見なければならないと言うた「鈴木元」という党幹部は除名処分された。
こちらは著書です。
「物言う党員」を除名や除籍にし、党に異論を唱えたら「だったら党をやめてしまえ」などと公然と侮蔑するような「プチ・プーチン政党」はほんまにええ加減にせえと思う。
次回に続く。