ぶた猫ぶーにゃんの社会的マイノリティ研究所

私、ぶた猫ぶーにゃんの「社会的マイノリティ」について考えるブログです。主に社会的マイノリティ、そして彼ら彼女らを侮辱する「毒オトナ」について綴っています。

こんな支援サービスを受けてきた・第6回(最終回)「支援サービスを困窮者すべてにいきわたらせよう」

こんにちは。Hola amigos!!
連日の猛暑ですわ…一週間予報でも最高気温33~34度だものなあ。
これが来月になるといわゆる「猛暑日」基準の35度以上が「平年並み」になるのよね。

さて、今回はシリーズ連載「こんな支援サービスを受けてきた」の最終回ですよ。

第6回「支援サービスを困窮者すべてにいきわたらせよう」

うつ症状に陥り、「発達障害」の認定を受けてから、今現在まで私はさまざまな「支援サービス」を受けてきた。

利用してよかったところ、改善すべき課題点を本シリーズ連載で綴ってきた。

今回は最終回ということで、これから「支援サービス」はどうあるべきかを綴ろうと思う。

「ひとのま」で印象に残っているところ

前回、「ETV特集」で放送されていた「ひとのま」のことを紹介した。
富山県内で活動されているこの施設が「こころのたまり場」に似ていると。

不登校発達障害、HIKIKOMORI…
主な利用者も共通点があった。

番組の中で、ここの取り組みが全国的に注目されており、全国から福祉関係者の視察や講演依頼が絶えないことが紹介されていたのだが、この場面でのナレーションが私の心に残っているので文字に起こして紹介する。

講演の依頼が増えている背景には、現場の福祉関係者が抱えている、切実な危機感がある。

公的支援については、貧困問題、医療、障がい者のケアなど、それぞれの分野で細分化と専門化が進んでいる。

しかし実際には、問題が複数の分野にまたがっていて、制度の隙間に「こうよう*1」してしまう人も少なくない。

 このナレーションの直後に、「福祉の専門家」が「縦割り行政そのものの公的支援制度」を批判し、「そういうものにとらわれない場所(ひとのま)がそれ(公的支援から零れ落ちた人たち)を受け止める場になっている」という発言も紹介された。

本当は公的支援サービスが普遍的に各困窮者を支援・救済するシステムを構築すべきだろう

私が言いたいのは↑こういうことである。

「ひとのま」や、最近注目を浴びている「こども食堂」など、色々な立場の困窮者を包括的に支援するサービスが「民間で」運営されるようになったが、本当はこういうことは公的支援サービスが率先して実施すべきであろう、ということである。

先ほどのナレーションにあった「問題が複数の分野にまたがっている」ということは、言い換えれば私が日ごろから弊ブログで問題にしている、

「公認されない社会的弱者」

というのと同義だと思われる。
たとえば「HIKIKOMORI」というのはとどのつまり「社会不適応・適応困難」なのだが、この「社会不適応」がどの福祉分野の対象になるのかがわからないために、「なかなか社会的弱者として公認されない」という事態に陥っていると思われる。

私が「公認された社会的弱者」になろうという理由

私はこういう「公認されない社会的弱者」を問題にするとき、「まずは『公認された社会的弱者』をでっちあげることを目指そう」と綴っている。

「でっちあげる」という言葉は語弊があるかもしれないが、要は公的支援サービスを享受できる立場になろう」ということである。

たしかに、「ひとのま」のように、包括的に受け入れようとしている民間支援サービスが増えていることは評価するのだが、同じ民間のサービスには本当に「これはひどい」というべきサービスも多々あるからだ。

以前問題にした「HIKIKOMORI矯正収容支援サービス」がその代表だろう。

sgtyamabuunyan2nd.hatenadiary.jp

 私は2000年代初めに「障がい者」の認定を受けた。
それ以来、様々な支援サービスを享受し、今回のシリーズ連載を綴っているわけである。

いまこそ、「困窮者すべてにいきわたらせる公的支援サービス」を!!

それにしても、2000年代初めの政権与党が唱えておられた「改革」というのは一体何だったのか。
いわゆる「縦割り行政」はそのころからかなり問題視されていたと思うのだが。
そういえば現在、私が問題にしている「支援」を統括する官庁「厚生労働省」ができたのもこのころだったんだよなあ。
これも「縦割り行政の緩和」を目的にしていたはずなのだが。

今からでも遅くはない。困窮者すべてにいきわたらせる公的支援サービスを構築すべきだと思う。

まずは、「障害者職業センター」を運営する「高齢・障害・求職者雇用支援機構」の名前を、以前の弊ブログでも提案した「社会不適応当事者雇用支援機構」に改名し、「HIKIKOMORI」に代表される「どの支援サービスの対象にもならない『公認されない社会的弱者』」をもっと支援すべきだと思う。

sgtyamabuunyan2nd.hatenadiary.jp

 おわりに

以上、自分が今まで受けてきた支援サービスを紹介するシリーズ連載「こんな支援サービスを受けてきた」をひとまず終えるわけだが、本当にこれらの支援サービスは自分が「障がい者=公認された社会的弱者」になったからこそ享受できたものだ。

たしかに包括的な公的支援サービスは構築すべきだが、最近はわが国政府も自治体も財政難でなかなか着手できないものと思われる。

また、「公認されない社会的弱者」も支援する民間の「良質な」支援サービスが増えることはよいことだと思うが、「公認されない社会的弱者」であるかぎり、「悪質な」サービスの餌食にもなりかねない。

だから何度でも言う。

「まずは公認された社会的弱者になろう!!」

以上です。Adios amigos!!

*1:すみません、それらしい漢字がわからなかったものでこういう表記になってしまいました…

こんな支援サービスを受けてきた・第5回「こころのたまり場」

こんにちは。
もうこれ、実質的に梅雨明けですよね…
朝からじりじり暑くなっていく。

前回綴った「♪ナツナツナツナツココーナッツ」の歌だけど、この歌をバックに旅客機が飛んでいそうなイメージだよなあと思ってこの歌詞で検索かけてみたら、案の定「日本航空JAL)」の沖縄旅行キャンペーンCMソングだったそうな。

ふたりの愛ランド - Wikipedia

さて、今回は「こんな支援サービスを受けてきた」の第5回。

第5回「こころのたまり場」

あれは2010年代に入ったころだった。

私は「舞姫青葉の友」の同僚から、「今度、隣町の『社会福祉協議会』が「こころのたまり場」とかいう事業を始めるようだから一緒に行かないか」と誘われた。

この方は、「舞姫青葉の友」のメンバーではあるが、私同様にあまり積極的に活動には参加していなかった。

なんでも、偶数月のある日に「精神障害者向けの『たまり場』事業」を開始したそうだ。

ぱっと見はただの民家

早速、開催日を空けておき、同僚と一緒に隣町の社会福祉協議会職員との待ち合わせ場所を訪れた。

職員の送迎車に乗り、「たまり場」に赴く。

車は住宅街の中に入っていった。

「着いたよ。ここが『たまり場』だ」

…ぱっと見、ただの民家だ。

どうやら、社会福祉協議会が空き民家を借りるか買い上げるかして、この「たまり場」事業をされているようであった。

「自分は一人ではない」ことを確認する

「たまり場」には、自分と同じ境遇の人たち、つまり精神障害はもちろん、私と同様に「社会適応困難=HIKIKOMORI」の状態にある人たちもいた。

ここでは、利用者は料金(100円)を支払い、お昼ご飯を一緒に作ったり、お菓子や飲み物の買い出しをした後、みんなで思い思いに過ごす。

担当職員が利用者からの悩みなどを聞くコーナーも設けられていた。

花見や海水浴場への外出などもあった。*1

ここで私が感じたことは、「自分は一人ではない」ということだった。

知り合い以外にも話せる相手ができた。
現在は関東地方に在住している元利用者の方とは現在もSNSでメッセージのやり取りなどをしている。

ただ、開かれるのは偶数月の1日だけ…

「たまり場」の雰囲気は、先月NHKEテレETV特集」で見た「ひとのま」のそれと似ている。

www4.nhk.or.jp 

ただ、「ひとのま」はほぼ毎日開催しているのに対し、こちらの「たまり場」は偶数月のたった1日だけというのが寂しい…

しかも平日開催なので、現在仕事をしている私自身もここ2年ほど顔を出していない。*2

次回は最終回として、これからの支援サービスに必要なものを綴ろうと思う。

それではまた。Adios amigos!!

*1:さすがに海水浴そのものはしなかったのだが…

*2:むろん、有給休暇をとるという手もあるのだが…現在勤務している職場は比較的有給休暇を取得しやすい職場であるが。

こんな支援サービスを受けてきた・第4回「地域活動支援センター」

こんにちは。Hola amigos!!

こちらはとても暑いです。
♪ナツナツナツナツココーナッツ、と歌いたくなるねえ。

こんな支援サービスを受けてきた・第4回「地域活動支援センター」

2007年ごろ。
地元の精神保健福祉センターの「精神科デイケア」の滞在期限が過ぎ、「卒業」とあいなった。

デイケア滞在中は、ショッピングモールへの就職と退職、その後「ワークトレーニング社」での訓練、そして胃腸の病気のため手術入院があった。

そして私は三十路に突入した。

「卒業」後の受け皿

「卒業」直前、私は地元の都心部にあった精神科デイケアの職員とともに、自宅から快速電車で二駅ほど離れた地域の「地域活動支援センター」に出向いた。
なんでも、「卒業」後の受け皿になるだろうということで…

出向いたセンターでは、共同で工作やレクリエーションを楽しんだり、あるいは個人個人で好きなことをしたりと、大体精神科デイケアの延長上かなと私は感じた。

地元にも「地域活動支援センター」ができる

その後、地域活動支援センターの職員の方と面談した。

その方の話によると、「あなたの住んでいる地元でも、近々ここと同じようなセンターが設立予定なんですよ」ということだった。

詳しいことは地元自治体の福祉窓口に聞いてみてねということで、私はその窓口を訪れた。

そこの担当職員から、「ある社会福祉法人が地元自治体所有の施設を利用してデイサービスを運営しているのだが、そこが『地域活動支援センター』を近々兼ねる」ことになったことを教えてもらった。

いろんな障害を持った人たちがいる

その後、私は正式に入所手続きをとり、地元の「地域活動支援センター」に入所した。

センターには精神障害者のほかに、肢体不自由や、下半身不随などの身体障害者や、認知症の患者などがいた。

電動車いすで活動しているある脳性麻痺の利用者は、筆を銜えて絵を描いていた。

他の利用者は、クロスワードパズルの雑誌に載った問題をひたすら解いていた。

私は、主に非電源系ゲームを嗜んだ。
そのなかでも、花札の「こいこい」を教えてあげたなあ職員に。
他にも料理実習も楽しかった。
この時だっけか、担当の精神保健福祉士のことを「大佐」と呼ぶようになったのは。
手芸・革細工も楽しかった。

ところで…

地域活動支援センターにも「A型」「B型」があるんですねえ…
参考に大阪市の「地域活動支援センター」紹介ページを紹介する。

http://www.city.osaka.lg.jp/fukushi/page/0000174248.html

A型は「将来の社会進出への訓練」、B型は「日常生活の安定化」を目指すのがおおよその目標みたいですね。

地域活動支援センターでの生活が安定してきたころに、私は「就労支援施設B型」に移行することになった。

就労支援施設については、シリーズ連載「潜入・大人の幼稚園」に綴っているのでこちらを参照のこと。

それではまた。次回はある別の施設について綴りますわ。

 

こんな支援サービスを受けてきた・第3回「精神科デイケア」

こんにちは。Hola amigos!!

暑いなー。九州北部は連日豪雨だというのに…
関西は現在カンカン照り。

さて、今回は「精神科デイケア」について綴る。

こんな支援サービスを受けてきた・第3回「精神科デイケア

私が精神科デイケアと地域活動支援センターを利用したのは西暦2000年代中盤から後半。

家庭内暴力で「署」に連れていかれて精神保健福祉センターの診察を受けろと言われ、センターに通い続けて1年経ったころだ。

当時の主治医の先生が「デイケア」という存在について教えてくれた。

共同生活とレクリエーション、そしてSST

当時の私はまさにHIKIKOMORI当事者であり、この状況を打破するために何かが必要と感じていた。
私は是非、デイケアを利用したいと申し出た。

デイケアには、自分と同じ境遇の人たちがたくさんいた。
むろん、同世代の利用者も多い。

ルームにはゲーム機があり、私はゲームをよくやった。
デジタルだけでなく、アナログのそれも楽しかった。

時には外出して近くのグラウンドまで移動し、ソフトボールなどスポーツをすることもあった。
ただ、スポーツの場合、他の人たちがうまくプレイできないと苛立って怒鳴ってしまうこともあった。
自分がいかに他者との協調性がないのかということが分かったといえる。

特筆すべきは「SSTソーシャルスキルトレーニング)」。
数人が専用ルームに入り、社会でよくあるシチュエーションのロールプレイングをおこなう。
たとえば「面接で担当者から答えにくい話題を振られたとき、どう対処すればいいか」というお題があったとき、「正直に答える」「少しはぐらかす」など個人がそれぞれ対処法を「演じる」。
そこに他のメンバーがいろいろ批評するのだが、条件がある。
それは「かならず褒める」こと。
「●●は××でとてもよかった」という形で言わなければならない。
「●●ははっきり言って褒められない」と否定するのはもちろん、「●●はよかったんだけど、××は問題かな」と課題を提起することもダメ。
これは自分を褒めることすらできなかった私にとってきついものがあった。

精神保健福祉センターデイケアには期限がある

しかし、私が入所した精神保健福祉センターデイケアには期限があり、「3年」が経過したら「卒業」しなくてはならなかった。

課題も見え、デイケアを通じて少しでも克服しようと努める途中で、この「期限」が来てしまった。

せっかく自分が克服すべき課題も見えてきたのに、この後はどうしたらいいのだろう…

そう思っていた時に、デイケアの職員が紹介してくれたのが、「地域活動支援センター」だった。

次回は「地域活動支援センター」について綴る。

それではまた。

こんな支援サービスを受けてきた・第2回「ワークトレーニング社」

こんにちは。Hola amigos!!

早速だが、前回の「ジョブコーチ支援」について加筆した。

きっかけはこちらの記事を拝見して。

lite-ra.com

以前、私は姉妹ブログにおいて「引退したプロスポーツ選手にこそジョブコーチ支援が必要」と綴ったことがある。

sgtyamabuunyan.hatenablog.com

前掲の記事を読んでみて、「ああ、ジョブコーチが必要なのはアスリート(プロスポーツ選手)だけではないんだなあ、プロ棋士など、とにかく夢破れて途方に暮れている人全般*1に必要なのではないか」と思い、加筆したのだ。

さて、今回は、過去のシリーズ連載などではあまり綴らなかった「ワークトレーニング社」について綴る。

こんな支援サービスを受けてきた・第2回「ワークトレーニング社」

「ワークトレーニング社」とは、各地の障害者職業センターが併設している訓練施設である。

長年HIKIKOMORI状態にあり「規則正しい生活ができない状態」にある方の生活リズム形成や、就職が決まった当事者が正式に入社するまでの間、仕事の雰囲気を身につけるために利用されるのが主流。

内容は単調作業の繰り返し

私が最寄りの障碍者職業センターの併設ワークトレーニング社に「入社」したのは2006年ごろ、ショッピングモールを退社した時だった。

sgtyamabuunyan2nd.hatenadiary.jp

障害者職業センターの担当カウンセラーが、「仕事を辞めてまたHIKIKOMORIのような状況に陥ってしまったら困るから…」と勧めて下さったのだ。

給料はもらえない。訓練施設だから当たり前か。

作業内容はというと午前は倉庫などでの商品区分を想定した作業。水や砂を詰めたペットボトルを指導スタッフが指定したとおりに取り出し、箱にまとめて指導スタッフの下に持ってくる。ペットボトルとはいえ水や砂を詰めていることもあってかなり重たかった。
午後はベルトコンベアで流れてくるボールペンの部品を組み立て、ボールペンを作る作業。「バイトヘルなんちゃら」というゲームでもおなじみの作業。
しかし、ベルトコンベアの流れる速さは想定以上の速さ。
発達障害持ちの私にはとてもきついものがあった。

毎日がこの調子。単純作業の繰り返し。
まるで「シジフォスの神話」だ。
しかし、世の仕事というのはそういうものではないだろうか。
私はそう言い聞かせて作業を成し遂げた。

あと、規定期間の終盤には、ワークトレーニング社修了者が現在働いている職場の見学もあったっけ。
私が見学したのはある運送会社の集配センターと、クリーニング工場だった。

この経験は今の仕事にも生きている

「不条理だな」と思いつつも、このワークトレーニング社でやってきた経験は、現在の仕事にも生きていると私は思う。

現在の仕事もほとんど単純作業だ。
商品サンプルの検査、事務所周辺の掃除、時には書類の整理…
それでも私はこれらの仕事を3年以上続けている。

ただ、当時、ワークトレーニング社修了後に私は消化器系の病気に罹り、長期療養する羽目になり、職場復帰は遠くなってしまったのだが…

それではまた次回に続きます。

*1:HIKIKOMORI当事者もここに入るのだろう。

新シリーズ連載「こんな支援サービスを受けてきた」第1回「ジョブコーチ支援」(追記あり)

こんばんは。Buenas noches!!

先日放送されたETV特集「ひとのま」はとてもよかった。
つくづくETV特集NHKの良心だと思った次第。

さて、今回は新しいシリーズ連載「こんな支援サービスを受けてきた」を開始する。
第1回は「ジョブコーチ支援」。

こんな支援サービスを受けてきた・第1回 ジョブコーチ支援

「ジョブコーチ」とは

ジョブコーチというのは、主に発達障害精神障害当事者向けに、職場での業務を見守り、時には支援し、そして職場の担当者との折衝もする「代理人」である。

主催団体は主に「障害者職業センター」。
最近はNPO法人や民間企業のサービスも増えてきた。

こちらの記事も参考に。

www.web-sana.com

ジョブコーチがいるのといないのとでは大違い

私は10年以上、就職しては短期離職を繰り返してきた。
職場では常に孤独・孤立感を抱いてきた。

2004年ごろ、ショッピングモールのオープニングスタッフに障がい者枠で入社し、その際に「ジョブコーチ支援」を受けたのだが、コーチがいるととても安心した。
「話せる相手」がいる、というのがとても頼もしかったのだ。
ジョブコーチがいる間は業務にも前向きになれた。

ただ、ジョブコーチも常時サポートできるわけではない

同時に課題も感じた。
言うまでもないが、ジョブコーチはあちこちの職場を飛び回っている。
絶対数も需要量に供給量が追い付かない様子だ。

入社して数カ月が経過すると、ジョブコーチの訪問も少なくなる。
そうなると、再び孤独・孤立感が支配する。

職場の人たちも「困ったことがあったらいつでもいいから話してくれ」と言ってくださるが、とても話せるような雰囲気ではないし、常時職場にいるわけでもない。

これがとてもつらかった。

ジョブコーチだけでは不十分、職場の支援者(メンター)も必要

現在の職場では、ジョブコーチだけではなく、「メンター」と呼ばれる職場でよろず相談に乗ってくださる上司もいる。

正直、私が現在の職場で3年勤務できているのは「メンター」のお陰だと思っている。

障がい者だけではない、引退した・夢破れたプロにこそジョブコーチは必要

あと、私がジョブコーチ支援が必要だと考えているのは障がい者やHIKIKOMORI当事者だけではないと思っている。

引退したプロスポーツ選手や、プロ棋士などにこそ必要ではないかと思っている。

最近のプロたちは幼少のころからあるスポーツやゲームにどっぷり漬からなくてはならない状態にある。

こういう人たちが夢破れていざ別の道を歩もうと思っても、どうしたらいいのかわからないのではないかと思う。

そういうときこそジョブコーチの出番ではないかと思う。

「元プロ活動家のためのジョブコーチ」というのがあれば、高校時代に高校野球の実況アナから「甲子園は彼のためにあるのか」と絶叫させ、プロとしても長年活躍してきた野球選手が違法薬物漬けになったり、日本代表としてFIFAワールドカップにも出場したあるサッカー選手が相次ぐ戦力外通告に荒れて妻子に暴力をふるい、その後自動車事故で死亡することもなかったのではないかと思う。

それではまた次回に続きます。

HIKIKOMORIたちに「権利としての障がい者認定」を!!

こんばんは。Buenas noches!!

以前から綴っていることだが、HIKIKOMORI当事者のほとんどは発達障害持ちであると常々考えている。
持っていなかったとしても、日常生活に深刻な支障が出ているのだから「障がい者」であるとみなしてかまわないだろう。

勘違いしないでほしい。
障がい者認定」は「レッテル貼り」ではない。
むしろ逆だ。
HIKIKOMORI当事者への「エンパワメント」の手段なのだ。
「エンパワメント」というのがわからないのなら、

「権利としての障がい者認定」

と言い換えてもいいだろう。

わが国は本当に「公認されない社会的弱者」には本当に冷淡且つ冷酷だ。
常に各メディアにおいて「憎悪ポルノ」の被写体にされる。

障がい者」に認定されれば、本当に生きやすくなる。
特に就労支援サービスを受けられるのは本当に大きいぞ。

次回から短期シリーズ連載「就労支援サービスを受けてみて」を綴る予定

それではまた。