こんばんは。¡Buenas noches!
今回も毒オトナの条件です。
やっぱり「財源」持ち出されて黙るだけか
昨日、偶然夕方のニュース番組を見た。
ちょうど衆議院議員総選挙の後半戦。
その内容は「コロナ禍での生活支援策」。
おもに現金給付、操業支援などのことが話されていた。
各政党の主張を一通り述べた後に、町の人の声などが思いっきり冷やかたっだ。
「財源はどうするの?」で我慢を強いるわけ?
異口同音にその人たちは語る。
「財源はどうするの?」
私は昨年の10万円の給付で、本当はパソコンを買い替える予定だったんだよなあ…
しかしコロナ禍が長引く中、今後に備えることになったんだよなあ…
パソコンを買い替えたのは今年の春になってからだった。
「ほとんど貯蓄に回された」からといって悲観的になることはないんじゃないかなあ。
お金があるだけで何かを購入しようという「マインド」が上がることは間違いないのだから。
そして、先述のニュース記事でのこのセリフ。
70代
「これから先いっぱい若い人たちに借金を背負わせるってことはちょっとどうかなと」
40代
「もらえたらうれしいですけど、逆に子どもが大きくなった時にその代償が回ってくるのはちょっとなと思います」
つまり、また「国債発行」=「未来世代に借金を背負わせる」という「俗説」がまことしやかにテレビで流されているわけだ。
そのうえでの「財源は?」である。
もう、私は財源という言葉を持ち出して人、特に社会的マイノリティを黙らせるニッポン社会の風潮がくそくらえだ。
実際、甲状腺がんを患っている職場の同僚がいるのだが、自律神経がうまく整えられることができず体調を崩して出勤できない日も頻発している。
しかし、それでも彼は障害年金など社会福祉のお世話になることを拒む。
「国に負担をかけて生きながらえるのは嫌だ」というて。
sgtyamabuunyan2nd.hatenadiary.jp
ほんま「財源はどうするの?」「未来にツケを残さない」などといって生存権まで否定される世の中、ニッポンはごめんや。