こんにちは。今回も「毒オトナ社会の解きかた」をお送りする。
社会問題が「エンタメ消費」される
U国R国戦争が泥沼化している。
それに伴い、我が国ニッポンも、
- やっぱり「戦争できる国」になるべきなのではないか
- 「敵基地攻撃能力」も必要なのではないか
- そしてそのためには「憲法改正」が必要だよなあ
…といったことが主にテレビで流布されている。
しかし、どの言説を見ても、
- 「戦争できる国」になったらどうなるのか
- それこそ周辺の「ニッポンを好かない国」に「口実」を与えてしまわないのか。
といったことは真剣に問われていないように思う。
なぜなら、「エンタメ(エンターテインメント)」の題材としかみなしていないから。
この国ではあらゆる社会問題が「エンタメの題材」にしかならなかった
今回の戦争だけではない。
この国ニッポンではあらゆる社会問題も、(主にテレビの)「エンタメの題材」として消費されるだけだった。
十数年前なら「ワーキングプア」だった。
sgtyamabuunyan2nd.hatenadiary.jp
確かに当該テレビ番組は社会問題について「考えるきっかけ」を与えたように思う。
しかし、ではどうすべきなのかを考えると途端に、
- だったら投資、資産運用をしよう
- 「あんな大人になってはならない」からそのためにも「エリートになるための勉強」をしないと
といった「あんた真剣に考えていないだろ」としか言いようのない結論が流布されてしまう。
エンタメは、「他人事」だから成り立つ
さて、「エンタメ」は「他人事」、つまり「自分には関係のないこと」だから成り立っている。
たとえばホラー映画などで登場人物が次々に惨殺されていくさまも、「見ている自分は殺される心配はいらない」から見ていられる。
逆に自分が殺される立場だとしたら「エンタメ」として消費できないだろう。それこそ「当事者目線なき者は去れ」と叫びたくなるだろう。
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この国のエンタメは、「殺される側」を踏みにじることで成り立っている
それにしても、この国のエンタメはひたすらに「下=殺される側」を踏みつけることで成り立っているように思う。
少なくとも「下」の視点がないように思う。
特にテレビは「報道番組」すら「バラエティー番組」の一つになってしまっているゆえ、「社会問題のエンタメ化・エンタメ消費」の最前線になってしまった。
この国には、社会問題を真剣に考える「きっかけ」が存在していない。
そりゃ昨秋の衆院選で政権与党と「ナニワのトランピズム政党」が手堅く勝つし、今夏の参院選でも同様の結果が予想されるんだよなあ…
次回に続く。