ぶた猫ぶーにゃんの社会的マイノリティ研究所

私、ぶた猫ぶーにゃんの「社会的マイノリティ」について考えるブログです。主に社会的マイノリティ、そして彼ら彼女らを侮辱する「毒オトナ」について綴っています。

与党も野党も茶番(14)忠犬は吠えても市民は怖がる

こんばんは。今回も「与党も野党も茶番」。

あの茶番政党について今回も綴る。

 

忠犬は吠えても市民は怖がる

「犬は吠えても歴史は進む」

かつて「故・立花隆」氏による「ルポ」記事*1に対して茶番政党側が「吠えた」ときの一言である。

この「ルポ」では茶番政党の「黒歴史」を洗いざらい暴露するもので、党にとっては最大の屈辱だったことは論を待たない。

あらためて「革命政党(笑)」宣言した茶番政党を一般市民視点から見た記事

さて、今回はこちらのWeb記事を紹介したい。

president.jp

見出しだけでいえば、茶番政党についてずっと言われている、
政策や理念は立派だが、「党風」にはついていけない
ということであり、その理由を克明に綴っている記事である。

早速引用しよう。

2010年初当選、当選3回の田村氏は、どちらかと言えば「現実・柔軟路線」の下で育った世代のはずだ。田村氏は政策委員長時代、21年衆院選での党の退潮について「野党としての共産党ならば、スルーした問題が、政権に関わる存在になった時、全く異なる不安になるのでは?」などとツイッター(現X)に投稿して党内で問題視され、これを削除した。

筆者はこの衆院選での野党陣営「敗北」の理由が、共産党との「共闘」戦術にあるという立場はとっていないが、田村氏の発言は、当時の野党議員のものとして自然に受け止められるものだ。この程度の発言が問題視される党内の空気に、筆者はかすかな危惧を抱いた。

その危惧は今回の党大会で、田村氏自身によって確信に変わった。委員長に就任した田村氏は、党首公選制の導入を著書で訴えた党職員の除名問題に関し「排除ではなく包摂の論理の尊重を」と発言した大山奈々子・神奈川県議に対し「発言者の姿勢に問題がある」などと、厳しい言葉で延々と非難した。発言は党員の間に衝撃を生み、SNSでは今なおさまざまな声が飛び交っている。

(大文字・太文字・赤文字強調は引用者)

これは私が以前の記事で綴った「党大会という場でなされた『黙らせ恫喝』」のことである。

sgtyamabuunyan2nd.hatenadiary.jp

こちらの記事では神奈川県議会議員氏に対し「茶番政党の支持者」たちがいっせいに「バッシング」に入ったことを綴った。

さて、この「公開の場でのつるし上げ目的の恫喝」、党の茶番政党の関係者や支持者からは各種SNSで、

などと拍手喝采、完全擁護、そして人格攻撃までやる。

改めてこの茶番政党には幻滅する。

これってさあ、まさに「犬笛」そのものだよね。
「忠犬」をけしかけて黙らせようとしているんだし。

昨今のSNS文化でよくみられる光景だ。

改めて、この茶番政党は一般市民から怖がられる存在だということを思い知れ

記事はこう続く。

共産党にとって不幸なのは、こうした組織原理が、同党の目指す政策や政権戦略と合わなくなりつつあることだ。

ジェンダー平等社会をつくる」「性的指向性自認を理由とする差別をなくす」「長時間労働や一方的解雇の規制」「企業・団体献金を禁止」「再生可能エネルギーへの抜本的転換」「国民のくらしと社会保障に重点をおいた財政・経済の運営」……。

だが、政策と並んで重視すべきなのが「政党の体質や政治手法」だ。上意下達で統制的、異論に対し「指導」の形で結果的に発言を抑えてしまう政党文化は、人権を尊重し多様性を重んじる社会を目指す姿勢とは相容れない。

共産党が本気でこうした社会像を目指しているのか、姿勢が疑われかねない。近年注目されている「心理的安全性」の概念からも外れており、若い世代にも敬遠されそうだ。国政政党として時代に合っているとは言い難い。

(大文字・太文字・赤文字強調は引用者)

これもまさにその通りで、「ジェンダー平等」やら「国民の暮らし」やら唱えてもこういう「宗教系カルト」「カルト教団」的な体質をあらわにしたために元茶番政党関係者などから「本気で世の中を変える気なんてなく、あるのは組織の保身だけ」といわれるのだ。

参考ブログ紹介。

note.com

さて最後に、最初に紹介した「犬は吠えても歴史は進む」になぞらえて、茶番政党には本記事タイトルの言葉を送りたい。

「忠犬は吠えても市民は怖がる」

いや、

「忠犬が吠えれば吠えるほど市民は怖がる」

次回に続く

*1:田中角栄の研究」と対をなすものであった。