こんばんは。今回も「与党も野党も茶番」。
茶番政党のために「殉死」した人を持ち上げるのって「KAMIKAZE」で死んだ人を持ち上げるのと同じではないか
この前、茶番政党関係者に誘われてある映画を見た。
戦前、非合法団体であった茶番政党に携わり、その後官憲の拷問に遭い24歳の若さで亡くなった「伊藤千代子」の生涯を描いた映画。
彼女が受けた拷問、そして非業の死はまぎれもなく「官憲≒支配勢力、主流秩序」によってもたらされたものであり、伊藤氏および当時の茶番政党はまさに「脱・主流秩序」を志向して闘ってきた人であり集団だということがよくわかる映画であった。
一方で、私自身はもう一つの感想も抱いた。
「KAMIKAZE」で死んだ人を持ち上げて「彼らがいたから今のニッポンがある」と称賛するのと同じではないか
それはニッポンの主流秩序、「毒オトナ」たちが「KAMIKAZE」で死んだ人を持ち上げて「彼らがいたから今のニッポンがある」などと称賛するのと同じではないのかということだ。
「KAMIKAZE」。第二次世界大戦末期にわが国ニッポンの軍隊がとった航空機や人間魚雷「回天」、さらには潜水服をまとって機雷をぶつけるなど爆死を通じてダメージを与える作戦であり、世界の戦史上まれにみる恐ろしくおぞましい内容であることから、今でも自爆テロ事件のことを「KAMIKAZE」と表現される。
わが国ニッポンの主流秩序では連合国軍に恐怖を与えた「KAMIKAZE」のことをとても誇りに思っているようで、あの「差別主義者たちの政治団体」創設メンバーの「ベストセラー作家」氏もこれをテーマにした小説を綴っている。
sgtyamabuunyan2nd.hatenadiary.jp
そして「KAMIKAZE」に誇りを持っている人たちは異口同音にこう言う。
「彼らがいたからこそ今のニッポンがある」
なんかこの映画を見ていて、私は「KAMIKAZE」を称賛する作品を見せられているような気分になった。
ニッポン国も、茶番政党も、命を懸けて守られたにもかかわらず愚行を繰り返す
そんな尊い犠牲で守られたニッポン国も、そして茶番政党も、現在はひたすら愚行を繰り返していることはとても正視できない。
社会的マイノリティを差別・侮蔑してエンタメにするようになったニッポン国の「毒オトナ社会」。
「民主化」「アップデート」を拒絶し、「殉死」を美談に持ち上げて「我々は正しい、支配勢力は我々を恐れているのだ」とうそぶく茶番政党。
ほんま、人の命、尊い犠牲を愚弄しているとしか思えないわ。
次回に続く。