ぶた猫ぶーにゃんの社会的マイノリティ研究所

私、ぶた猫ぶーにゃんの「社会的マイノリティ」について考えるブログです。主に社会的マイノリティ、そして彼ら彼女らを侮辱する「毒オトナ」について綴っています。

毒オトナの条件・第4回「『アドバイス』というマウンティング」

こんにちは。¡Hola amigos!

現在綴っている「毒オトナの条件」、「ステレオタイプ」「マウンティング」がキーワードになっているなあ。

というわけで、今回も「マウンティング」を軸に綴りたいと思う。

第4回「『アドバイス』というマウンティング」

前回「マウンティング」について綴った。

「自分は(マウンティング対象よりも)優位な立場なんだぞ」と何らかの形で誇示することであり、主に「相手を見下す言動」という形で表現されるのだが、もうひとつ別の形での「マウンティング」を今回は紹介したい。

それは「支援・アドバイス」という形での「マウンティング」。

人生相談コーナーの嫌らしさ

新聞や雑誌等でよく見かける「人生相談コーナー」。

すべてとは言わないが、相談に対してアドバイスをする側に「嫌らしさ」を感じてしまうのは私だけではないと思う。

「煙草の煙が苦手です」という人に対し「我慢が足りない」、「上司のセクハラに悩まされています」という人に対し「セクハラ受けるのは女性の勲章」とか…
これはアドバイスする側の「マウンティング」であり、また第1回で綴った「遮る」行為といえる。

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そのうえ、「アドバイスする」という「マウンティング」には、もうひとつの「効用」がある。

対象者がどっちの行動をとっても自尊心が満たされる

それは、「アドバイスの対象者」が自分のアドバイスに従っても、従わなくても、アドバイスする側の「自尊心」が満たされること。

  • 対象者がアドバイスに従えば「自分のアドバイスは有益だった」とご満悦。
  • たとえ対象者が従わなかったとしても「あいつは自分のアドバイスを受け入れようとしない愚か者だ」と見下せる。

「支援・アドバイスをする側」に「嫌らしさ」を感じるのはここら辺にあると思う。
「アドバイスの対象者」を、半分バカにしているのだ。

自分も自覚・反省せねば…

さて、私自身も弊ブログでたびたび「マウンティング」をしていることを告白せねばならない。

純粋な形での「マウンティング」は「諸星ノア」氏に対してやってしまっているし。

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「私は女性にやさしくありたい」「恋人がいる」あたりなんか見下してるものね。

また、「『アドバイス』というマウンティング」もね。

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「相談・アドバイス」という行為に対して、「マウンティング」という「嫌らしさ」を多少たりとも孕んでしまうことは自覚すべきだと思う。

それではまた。