ぶた猫ぶーにゃんの社会的マイノリティ研究所

私、ぶた猫ぶーにゃんの「社会的マイノリティ」について考えるブログです。主に社会的マイノリティ、そして彼ら彼女らを侮辱する「毒オトナ」について綴っています。

与党も野党も茶番(17)入党を呼びかけるパンフのウソ

こんばんは。

今回も「与党も野党も茶番」。

入党を呼びかけるパンフレットにある「ウソ」を綴る。

茶番政党の「入党呼びかけパンフ」のウソ

さて、手元に茶番政党の「入党呼びかけパンフ」がある。

中身の大半は以前破折はしゃくした党大会決議案とほとんど変わらないので割愛。

 

sgtyamabuunyan2nd.hatenadiary.jp

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茶番政党の「入党呼びかけパンフ」。自党の過去についてかなり「盛って」おり、ウソも多い。

茶番政党が日本国憲法を作った?

さて、私が「ウソだ」と思ったのは終盤のこの一文。

戦前、天皇絶対の専制政治のもと、日本共産党は非合法とされ、党員は激しい弾圧や迫害にさらされました。男尊女卑の時代、女性は政党に入ることさえ法律で禁じられるもとで、日本共産党は多くの女性が参加し、女性解放のためにたたかった唯一の政党でした。このたたかいは、先輩たちの多くの犠牲をともなった苦難の道でしたが、戦後の日本国憲法に「国民主権」「基本的人権」「戦争放棄」として実りました。

この一文を見た時、かつてテレビ朝日で放送されていた「世界とんでも!?ヒストリー」というクイズ番組の「レキシー・ホラ・ショー*1」で「中村ゆうじ」が「ホラー!!」と絶叫する声が頭の中で聞こえた。

前にも綴ったけど、この茶番政党は実は「日本国憲法」の制定には断固反対していて、「天皇(皇室)の存在を廃して『人民共和国』にするべきだ」というていたんだよ。

ここで「中北浩爾」氏の「日本共産党 革命を夢見た100年(中公新書)」より引用。

www.chuko.co.jp

一九四六年三月六日、日本政府の憲法改正草案要綱が発表される。これはGHQの民政局が原案を作成し、水面下の協議を経てまとめられたものであったが、共産党だけが反対を表明した。人民の代表による起草ではない欽定憲法である、人民主権が明記されておらず第一条で天皇の地位と権能を規定している、天皇を象徴と位置づけて神聖視している、参議院貴族院の変形に過ぎないなどと指摘し、天皇制の廃止、人民主権の明確化、一院制の採用などを主張したのである。
電子書籍35%地点。大文字太文字赤文字強調は引用者)

しかも「戦争放棄」についても、当時の茶番政党は「自衛戦争は認められるべき」という立場だったんだよね。

(前略)注目されるのは、戦争を二つに分類して、侵略戦争を不正の戦争、自衛戦争を正しい戦争と区別し、「憲法草案に戦争一般放棄と云ふ形でなしに、我々は之を侵略戦争の放棄、斯うするのがもつと的確ではないか」と発言したことである。これに対して吉田首相*2は「正当防衛権を認むることが偶々戦争を誘発する」と反論し、自衛戦争を含めて放棄すべきと主張した。
(同じく電子書籍35%地点)

この自衛戦争容認の立場が、のちの冷戦時代に「東側陣営の保有する核兵器はキレイな核兵器である」という立場になり、ニッポン国内の核兵器廃絶運動に亀裂をもたらすことになる。これはまたのちの連載で綴るかもしれない。

茶番政党もまた「女性は男性の付属物」という見方をしていた

「女性解放のためにたたかった唯一の政党」というのもこれまた怪しい。

ふたたび中北氏の著書より引用。

非合法活動を強いられた戦前の共産党にとって党財政と並ぶ暗部といえるのは、女性差別である。

(中略)

何よりも、女性がもっぱらハウスキーパーやレポーターといった補助的な活動に回されたことが問題であった。(中略)有能な女性活動家であっても党幹部と結婚すれば、その付属物とみなされ、家庭に入るしかなかった。戦前の指導部には女性がほぼ不在であった。共産党は結党以来、男女平等を訴えていたが、当時の日本社会の女性蔑視から逃れられなかった。そうした弱点は地下活動を通じて肥大化した。
(同じく電子書籍24%地点)

戦前から女性解放をうったえていたのは茶番政党よりもむしろ「キリスト教婦人矯風会」とか「平塚らいてう」あたりだと思う。

茶番政党の言うことを真に受けないで!

それにしても、この中北氏の著書は茶番政党から「禁書」認定され、中北氏自身も茶番政党の新聞などであしざまに誹謗されている。
言葉通りの「黒歴史」をバラされているのだから当然かもしれない。
その誹謗の苛烈さは(政権与党の一角の支持母体として知られる)創価学会が「日顕」「竹入義勝」などに見せた姿勢をほうふつとさせる。

とにかく、私が言いたいのは、茶番政党の言うことを真に受けないで、うのみにしないでほしいということ。

次回に続く。

*1:歴史の教科書などで語られている逸話、エピソードは実は「ホラ話」、フィクションであると暴露するコーナー。私が覚えているエピソードは「のちの豊臣秀吉が下っ端時代、主君の織田信長の草履を懐に入れて温めたのはウソ」「鼠小僧次郎吉は義賊ではなくただのコソ泥だった」。ちなみにコーナー名の元ネタは「ロッキー・ホラー・ショー」だと思われる。

*2:引用者注、吉田茂首相。

与党も野党も茶番(16)まさに「与党も野党も茶番」だからこそ、私たちは「自衛」を考えなくてはならなくなった

こんにちは。

まずは近況を。

ちょうど昨年の今頃、うつ病にかかって8年勤めた勤務先をやめることになってしまったが、このたび新しい勤務先が決まった。

今度は10年勤めるように努めたい(笑)

さて、今回も「与党も野党も茶番」。

あまりにも「与党も野党も茶番」過ぎるために私たちも「自衛」を考えなくてはならなくなったという話。

 

「与党も野党も茶番」だからこそ、私たちは「自衛」を考えなくてはならなくなった

今日、更新された「マガジン9」の「雨宮処凛がゆく」。

maga9.jp

今回は同氏の近著の紹介とともに、「自衛」について綴った一文に心を打たれた。

早速引用する。

 「死なないノウハウ」というタイトル通り、「自衛」の方法を詰め込んだわけだが、ここまで書いて、ふと気づいた。

 以前の私であれば、「自衛」よりも、死なないように「政治を変えよう」と声高に主張したのではないか、と。しかし、長年活動を続ける中、政治が一向に変わらない現実と向き合ってきた。そんな中、政治が変わるのを待っていたらリアルに死者が出る。もちろん政治を変えるべく声を上げていくことも大切だし続けていくが、「自衛」と二本立てでないと、政治を変える前にリアルに命が尽きてしまうという実感がある。冒頭に書いたような事件*1が起こるたび、切実に、そう思う。

(太字、大文字、赤文字強調は引用者)

私も本ブログで社会問題について綴ってきたが、同じ気持ちだ。

与党も茶番だし、野党、特に本ブログで綴っている「茶番政党」はもっと茶番だ

どれだけこの国ニッポンの政治界隈に向かって「俺たちの声を聞け」と叫んでも、ブログやSNSで声を上げても、選挙になったら政権与党や「維新を名乗るナニワのトランピズム政党」ばかりが当選する。

特に私のような社会的マイノリティの声なんか本当に届かない。
届くのは高学歴だったり「起業家」だったり「インフルエンサー」のようなものばかりのそれであり、それらは社会的マイノリティをたいてい侮蔑する。
そしてそのような「言論」をこの国の「マスコミ屋(ジャーナリズムではない)」は無批判に垂れ流す。

このような社会を私は「毒親」になぞらえて「毒オトナ社会」と呼んでいるが、この国の「野党」たちはその「毒オトナ社会」を変えようだなんて微塵にも思っていない。

特に私が憤っているのが本シリーズ連載でさんざん「茶番政党」と呼んでいる政党である。

自称「戦前は大日本帝国専制政治に命がけで反対し、戦後は『日本国憲法の精神』をきちんと政治に反映することに力を尽くした政党」だが、このたび同党の言うていることはかなり「盛っている」ということが判明した。

私もまた「自衛」には努めてきた。与党も野党も茶番だから

私自身も「自衛」には努めている。
障害年金もそうだし、お世話になっている福祉サービスもそうだ。
最近は「つみたてNISA」で資産形成にも取り組むようになった。

www.fsa.go.jp

社会的弱者、マイノリティが「自衛」を考えなくてはならなくなったのは、まさに「与党も野党も茶番」が引き起こした悲劇といえよう。

なお、今回の雨宮氏の新著「死なないノウハウ」は後日購読する予定である。

次回に続く。

*1:引用者注、私と同じ年の人が「生活が苦しい」とコンビニ強盗を犯してしまった事件。

与党も野党も茶番(15)茶番政党は本当にうちの父親そっくり

こんばんは。

今回も「与党も野党も茶番」。

茶番政党のパワハラ正当化について綴る。

茶番政党はうちの父親にそっくり

茶番政党が先日の県議会議員に対する恫喝、黙らせ行為に対して、

「あれはパワハラではない。発言に対する批判であり反論だ」

などと声明を出した。

何度か紹介している元茶番政党関係者のnote記事も参照のこと。

note.com

うちの父親も自らの非を認めないお人である

それにしてもこの茶番政党、本当に自らの「非」を認めようとしないんだよなあ。

うちの父親と本当にそっくりなんだわ。

父親はとにかく、

  • 自分は正しいんだ
  • 自分は一番物知りなんだ
  • 息子のお前に何がわかる

などと言う態度を常にとっていた。

今回の茶番政党の声明はまさに父親が組織となったらこうなるのかという気分だよ。

「非」を認めたら父親も茶番政党も「権威」が崩れ去ってしまうからね。

「忠犬」たちに声をぶつけてやった

さて、今回の声明に対する私の感想を「忠犬」たちのいるところでぶつけてやった。

  • 最近の茶番政党はカルト教団みたいだ
  • 今回の声明はまるでうちの父親の威圧的な態度そのものだ

案の定、「忠犬」たちは「飼い主=茶番政党」の言うことをひたすら正当化したよ。

ほんまに恥ずかしいわ。

これが「ジェンダー平等を目指す」「人権が尊重される社会を目指す」政党なのである。

 

sgtyamabuunyan2nd.hatenadiary.jp

そんじゃまた。

与党も野党も茶番(14)忠犬は吠えても市民は怖がる

こんばんは。今回も「与党も野党も茶番」。

あの茶番政党について今回も綴る。

 

忠犬は吠えても市民は怖がる

「犬は吠えても歴史は進む」

かつて「故・立花隆」氏による「ルポ」記事*1に対して茶番政党側が「吠えた」ときの一言である。

この「ルポ」では茶番政党の「黒歴史」を洗いざらい暴露するもので、党にとっては最大の屈辱だったことは論を待たない。

あらためて「革命政党(笑)」宣言した茶番政党を一般市民視点から見た記事

さて、今回はこちらのWeb記事を紹介したい。

president.jp

見出しだけでいえば、茶番政党についてずっと言われている、
政策や理念は立派だが、「党風」にはついていけない
ということであり、その理由を克明に綴っている記事である。

早速引用しよう。

2010年初当選、当選3回の田村氏は、どちらかと言えば「現実・柔軟路線」の下で育った世代のはずだ。田村氏は政策委員長時代、21年衆院選での党の退潮について「野党としての共産党ならば、スルーした問題が、政権に関わる存在になった時、全く異なる不安になるのでは?」などとツイッター(現X)に投稿して党内で問題視され、これを削除した。

筆者はこの衆院選での野党陣営「敗北」の理由が、共産党との「共闘」戦術にあるという立場はとっていないが、田村氏の発言は、当時の野党議員のものとして自然に受け止められるものだ。この程度の発言が問題視される党内の空気に、筆者はかすかな危惧を抱いた。

その危惧は今回の党大会で、田村氏自身によって確信に変わった。委員長に就任した田村氏は、党首公選制の導入を著書で訴えた党職員の除名問題に関し「排除ではなく包摂の論理の尊重を」と発言した大山奈々子・神奈川県議に対し「発言者の姿勢に問題がある」などと、厳しい言葉で延々と非難した。発言は党員の間に衝撃を生み、SNSでは今なおさまざまな声が飛び交っている。

(大文字・太文字・赤文字強調は引用者)

これは私が以前の記事で綴った「党大会という場でなされた『黙らせ恫喝』」のことである。

sgtyamabuunyan2nd.hatenadiary.jp

こちらの記事では神奈川県議会議員氏に対し「茶番政党の支持者」たちがいっせいに「バッシング」に入ったことを綴った。

さて、この「公開の場でのつるし上げ目的の恫喝」、党の茶番政党の関係者や支持者からは各種SNSで、

などと拍手喝采、完全擁護、そして人格攻撃までやる。

改めてこの茶番政党には幻滅する。

これってさあ、まさに「犬笛」そのものだよね。
「忠犬」をけしかけて黙らせようとしているんだし。

昨今のSNS文化でよくみられる光景だ。

改めて、この茶番政党は一般市民から怖がられる存在だということを思い知れ

記事はこう続く。

共産党にとって不幸なのは、こうした組織原理が、同党の目指す政策や政権戦略と合わなくなりつつあることだ。

ジェンダー平等社会をつくる」「性的指向性自認を理由とする差別をなくす」「長時間労働や一方的解雇の規制」「企業・団体献金を禁止」「再生可能エネルギーへの抜本的転換」「国民のくらしと社会保障に重点をおいた財政・経済の運営」……。

だが、政策と並んで重視すべきなのが「政党の体質や政治手法」だ。上意下達で統制的、異論に対し「指導」の形で結果的に発言を抑えてしまう政党文化は、人権を尊重し多様性を重んじる社会を目指す姿勢とは相容れない。

共産党が本気でこうした社会像を目指しているのか、姿勢が疑われかねない。近年注目されている「心理的安全性」の概念からも外れており、若い世代にも敬遠されそうだ。国政政党として時代に合っているとは言い難い。

(大文字・太文字・赤文字強調は引用者)

これもまさにその通りで、「ジェンダー平等」やら「国民の暮らし」やら唱えてもこういう「宗教系カルト」「カルト教団」的な体質をあらわにしたために元茶番政党関係者などから「本気で世の中を変える気なんてなく、あるのは組織の保身だけ」といわれるのだ。

参考ブログ紹介。

note.com

さて最後に、最初に紹介した「犬は吠えても歴史は進む」になぞらえて、茶番政党には本記事タイトルの言葉を送りたい。

「忠犬は吠えても市民は怖がる」

いや、

「忠犬が吠えれば吠えるほど市民は怖がる」

次回に続く

*1:田中角栄の研究」と対をなすものであった。

与党も野党も茶番(13)茶番政党が忘れられない「京都・蜷川」の成功体験

おはようございます。今回も「与党も野党も茶番」。

今回は先日行われた京都市長選について述べる。

 

茶番政党が忘れられない「京都・蜷川」の成功体験

先日、京都市長選挙が開催され、茶番政党が推していた候補が敗れ政権与党が推していた候補が勝った。

詳しいことはNHK政治マガジンのこちらのリンクを

www.nhk.or.jp

京都(市内)の国政選挙や地方選挙では茶番政党が伝統的に強く「一大勢力」となっている数少ない地域である。

茶番政党がそのときいちいち持ち出す話がある。

それが「蜷川虎三」の成功体験である。

今回も茶番政党の超高齢幹部がX(旧Twitter)で「蜷川」の名前を持ち出していた。

しかし長らく茶番政党の成功例はない

かつては1996年の衆議院議員総選挙でも京都市内の選挙区で当選者を出した茶番政党。

しかし、それ以降茶番政党の成功例はまったくと言っていいほどない。

常に政権与党に負け、そして「旧民主党」に負けている。

そして京都府知事選や京都市長選でもずっと茶番政党が推す候補は負け続けている。

勝たなければ意味がないのだ。

市民派」候補に寄生するのをいい加減にやめろ

さて、実は今回の茶番政党が推していた候補、「広範な市民の声をくみ取りたい」という候補者の意向で「推薦」ではなくあくまで政党からは「支援」にとどめてもらったという。

先ほどのNHKサイトから引用。

共産党にも異変が起きていた。
前回・4年前の市長選で推薦した福山和人が、2回目の挑戦を表明したものの、今回は推薦を見送ることになった。

京都市長選での推薦見送りは20年ぶりのことだ。
「幅広く支持を得たい」とする福山の意向を尊重して「支援」にとどめた。

京都で存在感を示してきた共産党だったが、近年は、党員の高齢化が進み、組織力にかげりも見えていると指摘されている。

去年4月の京都市議選では、改選前から4議席を減らし、市議会では、維新と国民などが統一会派を組んだことで、第2会派から第3会派に転落した。

共産党の関係者は苦しい胸の内を明かした。
「福山は人権派の弁護士として知られ、弁が立ち、現在考えられる中では“最良”の候補。ただ、京都で組織力があるとはいえ、政党支持層だけでは当選は難しい。無党派層も取り込む必要があり、推薦は出さなかった」

(太字強調は原文ママ

それでも茶番政党関係者はこの候補者に対して「自分たちの手駒」のような扱い方をしていた。

これは茶番政党の「前衛」思想からくるのだろう。「俺たちが主導権を牛耳ることで市民社会の発展は進むのだ」という傲慢思想。

いい加減に「前衛思想」はやめろ茶番政党。そして「市民派候補」「市民運動」に寄生するのはもうやめろ。

ここでブログ紹介

さて、最後にブログを紹介したい。

茶番政党に2004年の京都市長選挙で担ぎ出された候補者だった方のブログである。

hiroharablog.hatenablog.com

ここでも言われてるねえ茶番政党の茶番ぶり。

ほんまええ加減にせえよと思うわ茶番政党には。

そんじゃまた。

与党も野党も茶番(12)責任者出てこい!

こんばんは。今回も「与党も野党も茶番」。

茶番政党が改めて無責任な組織だということを思い知らされたことを綴る。

 

責任者出てこい!!

「マガジン9」最新更新回での「言葉の海へ」、テーマは「責任者のいない国」。

maga9.jp

早速一節を引用する。

(前略)このところのこの国の進み行きには、本気で「責任者、出てこい!」と怒りをぶつけたくなることが多すぎる。

と、原発問題、政権与党の派閥裏金問題に憤り、

 責任者、出てこーい!
 国民はもっと怒るべきだ。
 だが責任者がどこにもいない。
 だから怒りをぶつける先が見えない。
 この国は責任者のいない国になってしまったのだ。

と締める。

この「責任者、出てこーい!」「だが責任者がどこにもいない」、実は茶番政党にも当てはまるのだ。

茶番政党の代表って委員長?議長?

その事実はあの「松竹伸幸」氏がブログで暴露している。

ameblo.jp

この度松竹氏は茶番政党に対し訴訟を起こすことを決意したのだが、茶番政党側の「責任者」が誰なのかがさっぱりわからないという話である。

こちらも引用。

 先日書いたように、私はこれまで、委員長が代表者であることを疑わなかった。しかし、29大会後の第1回中央委員会総会において、委員長よりも議長のほうが代表性が優るようなことが決まったというので(それもすごいことだ。規約上は置いても置かなくてもいい議長のほうがエラいんだと、規約を差し置いて中央委員会が決められるのだから)、できればそうしたいと思った。

 

 そうしたら、知らない方から、共産党の法人登記の書類が送られてきた(添付)。それによると、共産党の代表者って、いっぱいいるんだね。要するに、これまでだったら3役(委員長、副委員長、書記局長)は全員が代表者で、それに財政担当の常任幹部会員が代表者である。だから、新しい体制のものでは、議長を含む4役は全員が代表者なのであろう。

(大文字・太文字・赤文字強調は引用者)

代表者、すなわち責任者がとにかく不明瞭だということがよくわかるエピソードだ。

で、早速茶番政党公式サイトから「3役改め4役」について確認。

www.jcp.or.jp

うわあ…「中央委員会議長」「幹部会委員長」についてはさすがに1人だが、「副委員長」が6人もいるわ…
創価学会の「副会長」並みの多さだなあ。

しかし松竹氏も綴っているように、茶番政党の代表=「幹部会委員長」だと私もずっと思っていた。だってテレビその他で「代表者≒責任者」として出てくるのはもっぱら「幹部会委員長」だったのだから。

ただ、私が中高生だったときに社会科(高校では公民科)の資料集でニッポン国内の主要政党の代表者が一覧で載っていたが、中学校では「中央委員会議長ミヤモト=ケンジ」だったが高校のそれでは「幹部会委員長フワ=テツゾウ」で一体どっちやねんとうすうす感じたことがあった。

まあ、これで遅まきながらこの茶番政党の現在に至る「無責任体質」がよくわかろうというものだ。

ほんじゃまた。

与党も野党も茶番(11)今回の茶番政党の問題で示唆を与えてくれたブログ

おはようございます。今日は休みです。

今回も「与党も野党も茶番」。

今回の茶番政党の問題で示唆を与えてくれたブログ

さて、本シリーズ連載ではずっと「自称革命政党の茶番政党」について綴ってる。

しかし本当に茶番政党の新聞では能天気な記事ばかり綴ってんなあ。

茶番政党の党大会での新しい執行部を伝える紙面。ほんまにお坊ちゃんお嬢ちゃんばかり

今回はそんな茶番政党について私に示唆を与えてくれたブログをいくつか紹介しよう。

松竹伸幸オフィシャルブログ

ameblo.jpおなじみ、茶番政党から不当に「除名=追放」処分を受けた方のブログ。

本連載でもたびたび記事を引用させてもらった。

やはりこの松竹氏が「本物だ」と感じたのは決して党から追放されても「差別主義者(=反共攻撃の主体)の論壇誌」として知られる「正論」「Hanada」「世界日報」などにうらみつらみを寄稿していないところである。

かつての「兵本達吉*1」「筆坂秀世」とは一味違う。

むろん、松竹氏の著書も読ませてもらった。「シン・日本共産党宣言」ではまさに「茶番政党が政権与党に入るにはどうしたらいいか。特に外交・安全保障問題では今までのように『日米安保条約は破棄』などと言えないだろう。『アップデート』が必要だ」と至極まともな内容であった。

②雑賀光夫の徒然草

さて、松竹氏が波紋を起こす形で広がった「茶番政党はこのままでいいのか」という声。それは当該茶番政党の地方議員や一部党員にも広がっている。

前回綴った「党代表その他にパワハラ結語を発表された県議会議員氏」もその一人である。

その中で私が示唆を受けたのは同じく元県議会議員のブログである。

saikamituo.exblog.jp

その中で最近更新された記事が特に印象に残っている。

saikamituo.exblog.jp

この一文に私は感銘を受けた。引用する。

ある友人と話しました。

私はいいました。「次に国政選挙があれば、共産党は壊滅的な後退をするだろう。あるいは、その前に財政的に破綻するかもしれない。それで目を覚ますのならそれでいい。早くそうなった方がいい。」
友人は言います。「そんなことになったらこれまで積み上げてきたものがどうなるんだ。やり直すのが大変じゃないか」
私は言いました。「50年分裂や武装闘争方針*2で、共産党の国会議員は30人ほどいたのがゼロになった。でも誤りを克服すれば、5年ほどで希望あふれる共産党に生まれ変わったじゃないか」
(赤字・大文字・太文字強調は引用者)

まさに雑賀氏のおっしゃる通りだと思う。

「誤りを克服」してアップデートすれば再生できるのである。まさに「解党的出直し」よ。今後とも国政・地方政治ともに議席を壊滅的に減らすだろうし。

③Hitomyのnote記事「組織の考えに縛れない私でいたい」

もう一つは茶番政党はじめ、いろんな政党、政治団体に携わった方のブログ(note)。

note.com

その中でこちらの記事。

note.com

一部引用。

地域支部はおじいさんおばあさんばかりだから昼間に会議をしているし、活動を活発化させようという意思も感じられなかった。

ここは私もその通りで、うちの所属支部もまた支部会議は「平日昼間」にやっているんだよね…

政党組織の決定に従うことは、自身の考えを棄てること

これもまたその通りで、やっぱりこういう「生き方」はしんどくなるのよ。
企業団体組織で「所属することで報酬が得られる」のならそれも我慢できるのよ。
しかし報酬が発生しない組織から「俺たちに従え」と強要されるのは本当にしんどい。
その点で先述の松竹氏除名を擁護する党幹部が「会社組織だってそうでしょう。社則を破って解雇されるのは当たり前(意訳)」とSNSで謳っていたのは私にとってとても耐えられなかった。

まさに「宗教系カルト団体」と同じ問題なのである。

それでは次回。

*1:現在は廃刊した「諸君!(文藝春秋)」などに寄稿。2000年代の衆議院議員総選挙などでばらまかれた「謀略ビラ」の中でさんざん同氏の言説が引用された。

*2:1950年代当時の茶番政党が暴力革命=テロを積極的に企んでいた問題。実際に殺人事件=「白鳥事件」も起きている。現在の茶番政党では言葉通りの「黒歴史」であり、「あれは党から逸脱した分派のやらかし」とまるで贈収賄事件で言い訳する政権与党関係者みたいなことを言うている。